バンド結成のいきさつ(原点は浜岡中学音楽部) |
昭和30年代初頭 |
旅立ち・再会・そして・・・ |
昭和30年代初頭
昭和30年代に入ったばかりの時代のある日、砂丘に荒波が打ち寄せる遠州灘に面した静岡県浜岡町立浜岡中学2階東側の音楽室からは、ラッパや太鼓それにピアノ・ヴァイオリンなどの雑多な音が校庭に流れていた。
まだ戦後の復興が動き出したばかりで、部室には満足な楽器もそろっていない中で、音楽好きの仲間が集まり、練習に余念がない。
熱心な音楽教師松下巳作先生(後浜岡第二小学校校長)の指導のもと、県大会への出場を目指して熱き青春の一ページを刻んでいた。
そんな中淡い恋も芽生えた・・・・・
今やセピロ色の思い出深き浜岡中学音楽部の練習風景である。
昭和32年当時の音楽部メンバー
昭和32年秋 静岡県大会出場(課題曲:荒城の月変奏曲/自由曲:ペルシャの市場にて)
校舎全景と中島校長。手前右側校舎2階の一番右側が音楽教室だった。
時は流れ
時は流れ、卒業から各々の道を懸命に歩き、生きてきた。
ある人は職に就き、ある人は町の高校へ、ある人は高校から大学 都会へと。大空に放った風船の様に飛び立ち、
それぞれが違う方向に・・・・・
しかし歌を忘れたカナリヤ達は時代の変化にも、心の絆は忘れていなかった。
歌もけっして忘れていたわけではなく、心の奥にしまいこんでいたのだ。
旅立ち・再会
旅立ちから半世紀も過ぎようとしていたある日。
重ねてきた年輪の皴を顔に刻み、髪には白いものが混ざり、それでも満面に微笑みをたたえて懐かしく集まった同級会。
家庭を持ち、子を育て上げ、現役での仕事も終わり一段落しての再会である。
ふと振り返った時、青春時代の夢を今一度・・・・・
・・・という思いは共通だった
練習・飲み会
そんな同級の仲間が自然に練習に集まった。 おたまじゃくしも忘れ、ダルセーニュってなんだ! コーダって? ピッチも合わずリズムもばらばら。それにも気づかず、がむしゃらに楽器を鳴らす・・・・・
各々が好きな楽器を持ち寄って音を鳴らすわけで、従ってバンド構成もイレギュラー。
リーダーは懸命の努力で楽譜を手に入れ、手直しした。編曲、パート譜作成では何人かのプロの先生
にもお世話になった。
それでも練習後の「飲み会」が楽しみで集まった。
飲み会のピッチもそれぞれ個性がありまちまちで、勝手な事を言い合って飲むのが又楽しい。
バンドの厚み
同級の仲間にドラムス鈴木氏が加わり、練習場所を提供していただいた。
ピアノの紅一点藤田ピアノ講師、その後田中女史(piano)が加わり、俄然バンドの厚みが増し、しばらくしてギターの川上氏が参加、一層膨らみを増していった。
慰問演奏では、カラオケ指導の峰野さんご夫婦にもご協力いただき、「ドザ廻り老人バンド」としての格好も付き、活動も活発化した
年5〜6回の慰問演奏会では、老人たちの笑いと拍手に接する度に逆に元気をいただき、
「老々介護」ならぬ「老々慰問」となっている。
故郷・心の絆
我らが故郷・御前崎 遠州灘の長い海岸線沿いに風紋の美しい砂丘や白い砂浜が続く。
この砂丘は勅使河原宏監督「砂の女」のロケ地でもある。
波は少し荒いが、広く青い海に、水平線はどこまでも伸びる。砂丘に沿った松林に強い風があたり、波の音と風の音とが低く重く男性的な音とリズムを響かせる。
海に沈む夕日は刻一刻と色を変え、やがて闇へと落ちる。
素足で駆け回った砂丘、輝く太陽が真っ赤になり、紫に変り、
やがて星空に変るまでじっとならんで眺め続けた海と空
あの青春時代の仲間との心の絆を、今後もずっと持ち続けたい・・・・・
e-mail:info@kazband.net
copyright@kazband